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「但念仏往生」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版

たんねんぶつおうじょう/但念仏往生

ただ本願念仏の一行のみで往生ができるということ。但諸行往生の対。法然は『無量寿経釈』の中で、『無量寿経』下の三輩段に、往生行として念仏諸行が説かれているにもかかわらず、なぜ念仏往生のみを取り上げるのかと問い、善導の意に基づくとして但念仏往生助念仏往生、但諸行往生をあげている。すなわち、但念仏について「必ずしも行の多きについて三品(輩)を論」(昭法全八八)ずるのではないという基本的立場を示し、「いま本願念仏の行について三品(輩)往生の旨を説くなり。なにをもってかこれを知る。三輩の文にともに念仏において一向の言を置けり…一向というは余行を兼ねざるの意なり」(同)とし、上輩から下輩までの一一に「一向専念無量寿仏」と説いていることを指摘し、助念仏往生、但諸行往生ではなく、但念仏往生であると結論づけている。法然は「故に善導の釈に云く、この経の下巻の初めに云く、一切衆生の根性不同を説くに上中下あり。その根性にしたがいて仏みな勧めて専ら無量寿仏の名を念ぜしむ。その人命終わらんと欲するのとき仏聖衆とともにみずから来迎し給う。この釈の意に依て、三輩ともに念仏往生を明す」(同)と述べ、善導の『観念法門』を引用してその根拠としている。このような但念仏往生勧進は、『選択集』四の私釈段に見られる廃立義の先駆をなすものであると考えられる。


【参照項目】➡助念仏往生諸行往生


【執筆者:宮田恒順】