「山門派・寺門派」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:24時点における最新版
さんもんは・じもんは/山門派・寺門派
「山門派」とは、比叡山延暦寺を山門と呼び、慈覚大師円仁の門流を指す。「寺門派」とは、園城寺(三井寺)を寺門と呼び、智証大師円珍(八一四—八九一)の門流を指す。天元四年(九八一)智証派の余慶(九一九—九九一)が法性寺座主に任ぜられたことから、慈覚派・智証派の対立が激しくなり、正暦四年(九九三)慈覚派が比叡山内の智証派の坊舎等を焼壊した。これによって智証派一千人余は山を下り山麓の別院に移った。その後も座主補任をめぐる対立をはじめ、両派の間には「本末論争」「戒壇独立」等についても対立が生じた。
【資料】『山門三井確執記』(『改訂史蹟集覧』一二)、『寺門高僧記』六(『続群書類従』二八下)、『寺門伝記補録』一九、『園城寺伝記』(共に仏全一二七)
【参考】島地大等『天台教学史』(隆文館、一九八九)、福尾猛市郎「慈覚門徒と智証門徒の抗争について」(天台宗寺門派御遠忌事務局編『園城寺之研究』園城寺、一九三一)、稲田祖賢「山寺両門分立史の一考察」(『叡山学報』三、一九三一)、井上光貞『新訂 日本浄土教成立史の研究』(山川出版社、一九八九)
【執筆者:米澤実江子】