「坐禅」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ざぜん/坐禅
正しく坐り、身・息・心の三事を調え、禅定を修める方法のこと。坐は四威儀の行住坐臥の一つ、禅はⓈdhyānaⓅjhānaの音写で、思惟、静慮と訳される。後漢の安世高が、『安般守意経』で「坐禅」と訳出したのが、最初であるとされる。インドでは、修行法として仏教以前から実践されていたので、釈尊も坐禅により悟りを得たといわれる。東晋の法顕が訳した『大般涅槃経』中では、出家の法は坐禅を第一とした(正蔵一・一九七下)。後に、中国仏教においては、坐禅の意義は戒定慧の三学の定にあり、禅波羅蜜を含めた仏道修行の全体を指すものとされた。坐禅の指導書として早くから世に流伝したのが、智顗の『天台小止観』である。後に、善導『観経疏』定善義にも独自の坐禅法が示された。坐禅の形としては古来、主に結跏趺坐や半跏趺坐が行われた。宋代に至り、禅宗は、「坐禅はすなわち安楽法門なり。而るに人多く疾を致すことは、蓋し善く心を用いざる故なり」(『禅苑清規』八「坐禅儀」、続蔵一一一・九二〇上)として、坐禅は単に形式だけで完結するものではなく、心のありかたを重視する安楽の法門であると定義した。源信は、『往生要集』の中で、念仏の定・散・有相・無相の四相を説くに際し、「一の定業は、坐禅入定して仏を観ると謂う」(正蔵八四・八二上)として定業念仏の意を明らかにした。
【参考】関口真大『天台小止観の研究』(山喜房仏書林、一九六一)、鏡島元隆他編『訳註 禅苑清規』(曹洞宗宗務庁、一九七二)
【執筆者:林鳴宇】