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「我此道場」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:21時点における最新版

がしどうじょう/我此道場

伽陀の一つ。総礼伽陀と呼ばれる、法要の開始部で唱える声明。「我此道場如帝珠がしどうじょうにょたいしゅ十方三宝影現中じっぽうさんぼうようげんちゅう我身影現如来がしんようげんにょらいぜん頭面接足帰命ずめんせっそくきみょうらい(わがこの道場は帝珠の如し。十方三宝影現する中に、我が身如来の前に影現せん。頭面にみあしを接して帰命し礼せん)」。湛然の『法華三昧行事運想補助儀』(正蔵四六・九五五上)を典拠とするが、同書には「十方三宝影現中」が「釈迦牟尼影現中」とある。江戸時代には、知恩院仏名会や宝暦一一年(一七六一)の五〇〇年御忌にも総礼伽陀が唱えられた。


【執筆者:大澤亮我】


縁山声明伽陀の一つ。「我此道場如帝珠 十方三宝影現中」。『浄土苾蒭びっしゅ宝庫』下では「普礼伽陀」と称しているが(八オ)、縁山声明では「我此道場」と称している。「我」と「道」の速くはり上げる発声と「場」の「ジョ・オ・オ・オ」と鶏が鳴くように唱えるのが特色である。句頭に「逆ソリ」があり、伽陀のなかでは、音の変化があり難曲の一つである。


【参照項目】➡普礼伽陀


【執筆者:當間浩昭】