「藤原宗貞」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふじわらのむねさだ/藤原宗貞
一二~三世紀頃、生没年不明。法然が弥陀三尊を供養して不断念仏を始行した引摂寺建立の発願主。左衛門の志であった宗貞とその妻惟宗の女が発願して、建仁二年(一二〇二)春頃、洛東雲居寺の北東の地に堂舎を建立し、本尊弥陀と脇侍観音・地蔵の三尊の像を安置した。同秋に法然が雲居寺の勝応弥陀院へ百日参籠したとき、宗貞は法然に堂供養を願ったが、安置の像を見た法然は供養すべき仏でないと言い堂を出た。ある人から法然は勢至菩薩の垂迹であると聞いた宗貞は、急いで勢至菩薩像を造立して地蔵菩薩像を他の所に移し、同八月晦日に再び供養を願うと、法然は啓白文を読むことなくただ念仏千遍称え、すぐに不断念仏を始行し、寺号を引摂寺と名付けた。
【資料】『四十八巻伝』一三(聖典六)、『翼賛』一三・五五(浄全一六)
【参照項目】➡引摂寺
【執筆者:山本博子】