「大慈悲」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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− | あらゆるものにふりむけられる仏の広大無辺なる[[慈悲]]のこと。大慈大悲また単に大悲ともいう。十八<ruby>[[不共法]]<rt>ふぐうほう</rt></ruby>の一つであり、この場合はⓈmahākaruṇāの訳である。慈(Ⓢmaitrī)とは[[衆生]]を慈しみ楽を与えるもの(与楽)、悲(Ⓢkaruṇā)とは[[衆生]]を憐れみ苦を取り除くもの(抜苦)とされる。『[[大智度論]]』二七に[[四無量心]]中の[[慈悲]]を小といい、[[十八不共法]]中の[[慈悲]]を[[大慈悲]]と名づけるとある。また諸仏の[[慈悲]]を大とし、余人の[[慈悲]]を小とすると説く。このように、仏の[[慈悲]]は[[凡夫]]や[[声聞]]・[[縁覚]]・[[菩薩]]の不完全な[[慈悲]](小[[慈悲]])とは区別して[[大慈悲]]というのである。[[浄土教]]においてはもっぱら[[阿弥陀仏]]の摂取[[利益]]の[[大慈悲]]を指し、『[[観経]]』には「[[仏心]]とは、[[大慈悲]]これなり。[[無縁]]の慈をもって諸もろの[[衆生]]を摂したまう」(聖典一・三〇一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0044 浄全一・四四])とあり、『[[無量寿経]]』上にも[[阿弥陀仏]]の[[慈悲]]を強調して「[[如来]][[無尽]]の大悲をもって、[[三界]]を<ruby>矜哀<rt>こうあい</rt></ruby> | + | あらゆるものにふりむけられる仏の広大無辺なる[[慈悲]]のこと。大慈大悲また単に大悲ともいう。十八<ruby>[[不共法]]<rt>ふぐうほう</rt></ruby>の一つであり、この場合はⓈmahākaruṇāの訳である。慈(Ⓢmaitrī)とは[[衆生]]を慈しみ楽を与えるもの(与楽)、悲(Ⓢkaruṇā)とは[[衆生]]を憐れみ苦を取り除くもの(抜苦)とされる。『[[大智度論]]』二七に[[四無量心]]中の[[慈悲]]を小といい、[[十八不共法]]中の[[慈悲]]を[[大慈悲]]と名づけるとある。また諸仏の[[慈悲]]を大とし、余人の[[慈悲]]を小とすると説く。このように、仏の[[慈悲]]は[[凡夫]]や[[声聞]]・[[縁覚]]・[[菩薩]]の不完全な[[慈悲]](小[[慈悲]])とは区別して[[大慈悲]]というのである。[[浄土教]]においてはもっぱら[[阿弥陀仏]]の摂取[[利益]]の[[大慈悲]]を指し、『[[観経]]』には「[[仏心]]とは、[[大慈悲]]これなり。[[無縁]]の慈をもって諸もろの[[衆生]]を摂したまう」(聖典一・三〇一/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0044 浄全一・四四])とあり、『[[無量寿経]]』上にも[[阿弥陀仏]]の[[慈悲]]を強調して「[[如来]][[無尽]]の大悲をもって、[[三界]]を<ruby>矜哀<rt>こうあい</rt></ruby>す」(同二一八/[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0003 同三])と説かれている。 |
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【資料】『北本涅槃経』一五(正蔵一二)、世親『往生論』 | 【資料】『北本涅槃経』一五(正蔵一二)、世親『往生論』 |
2018年9月17日 (月) 10:08時点における最新版
だいじひ/大慈悲
あらゆるものにふりむけられる仏の広大無辺なる慈悲のこと。大慈大悲また単に大悲ともいう。十八不共法の一つであり、この場合はⓈmahākaruṇāの訳である。慈(Ⓢmaitrī)とは衆生を慈しみ楽を与えるもの(与楽)、悲(Ⓢkaruṇā)とは衆生を憐れみ苦を取り除くもの(抜苦)とされる。『大智度論』二七に四無量心中の慈悲を小といい、十八不共法中の慈悲を大慈悲と名づけるとある。また諸仏の慈悲を大とし、余人の慈悲を小とすると説く。このように、仏の慈悲は凡夫や声聞・縁覚・菩薩の不完全な慈悲(小慈悲)とは区別して大慈悲というのである。浄土教においてはもっぱら阿弥陀仏の摂取利益の大慈悲を指し、『観経』には「仏心とは、大慈悲これなり。無縁の慈をもって諸もろの衆生を摂したまう」(聖典一・三〇一/浄全一・四四)とあり、『無量寿経』上にも阿弥陀仏の慈悲を強調して「如来無尽の大悲をもって、三界を矜哀す」(同二一八/同三)と説かれている。
【資料】『北本涅槃経』一五(正蔵一二)、世親『往生論』
【参考】中村元『慈悲』(平楽寺書店、一九六一)、仏教思想研究会篇『仏教思想Ⅰ愛』(同、一九七五)
【執筆者:杉山裕俊】