「板倉了碩」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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いたくらりょうせき/板倉了碩
天保九年(一八三八)—明治三七年(一九〇四)一一月一三日。法蓮社性誉覚阿至道。現在の滋賀県東近江市に生まれ、一三歳で同県近江八幡市江頭町の長光寺誓誉について得度、増上寺学寮で内外典を研鑽する。慶応二年(一八六六)長光寺の住職となり、明治一六年(一八八三)中講義に補せられ、同二六年に京都支校第四代校長に就任。後に大本山知恩寺の要職につく。『万葉集』「二十一代和歌集」を研究し、和歌俳句をつくり、大田垣蓮月と文通があった。
【執筆者:齋藤蒙光】