「往生拾因」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おうじょうじゅういん/往生拾因
一巻。永観撰。康和五年(一一〇三)成立。阿弥陀仏の浄土に往生できる一〇の因縁が説かれる書。南都において、法然以前に善導の『観経疏』「就行立信釈」の文に注目している。開巻冒頭に「往生拾因 念仏宗 永観集」と記す。永観のいう念仏宗については、のちの記録に新宗が開かれたという記録はないが、永観自身の内面においては「念仏宗」を意識したとみられる記述が本書の中に見られる。とくに初期の写本、版本には道綽『安楽集』諸説の六大徳相承を引き「念仏宗六祖」という系譜を掲載していることは、永観に念仏宗という集団を意識するものがあったといえる。ただ、巻末には「南都東大寺 沙門永観草 願共結縁者 往生安楽国」と記すことから、東大寺から独立して新たな一宗をたてる訳ではなく、志を同じくする念仏者の集まりを念仏宗と称したと考えられる。その序文において、一六句の対句を用いて無常観を述べ、続いて、往生の十因の一々について、「一心称念阿弥陀仏…故必得往生」と標題し見解を述べている。十因とは、広大善根・衆罪消滅・宿縁深厚・光明摂取・聖衆護持・極楽化主・三業相応・三昧発得・法身同体・随順本願で、いずれも一心称念を強調する。永観は一心を定心とするが、第八因において、いまだ定心を得ていない未得定の人は往生することができず、得定の人は称念する必要がないのではないかと問答し、一心を定・散に通じる等持定とし、名号を称えることで等持定(三昧)に至ることができるとする。第十因においては、一心称念が本願に随順する行業であることを、善導『観経疏』「就行立信釈」の文に見いだしている。
【所収】浄全一五、正蔵八四
【参考】大谷旭雄「永観—念仏宗の人—」(『浄土仏教の思想』永観・珍海・覚鑁、講談社、一九九三)
【執筆者:坂上雅翁】