「普賢行願」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふげんぎょうがん/普賢行願
大乗仏教の菩薩思想を象徴する語句の一つ。『華厳経』入法界品に頻出。対応原語の代表にⓈSamanta-bhadra-caryā-praṇidhānaがある。この語句の原義は「普く賢れた実践の誓い」。特に華厳系仏典『普賢行願讃』では文殊菩薩の誓願行(衆生救済のために、あえて輪廻を繰り返す菩薩行の誓い)を指す。その実践者として固有名詞・普賢菩薩の登場が想定される。後に普賢行はより限定的に「普賢菩薩の実践」を指す場合がある(『四十華厳』四〇「普賢十大願」)。このようにこの語句には普通名詞と固有名詞の両義がある。普賢行願は『四十華厳』の別名が「普賢行願品」と呼ばれるごとく、華厳菩薩思想の核心であり、その広義は無住処涅槃・故意受生にもつながる。またこの立場は『法華経』に依拠した天台教学にも及ぶ。例えば智顗『法華文句』では、普賢菩薩を聖位の究極「妙覚」の寸前「等覚」にあえてとどまる者とする。その他『無量寿経』第二二願でも、あえて一生補処に発趣しない立場が普賢行とされる。同経第二二願の解釈について通常、浄土宗では「一生補処願」、真宗では普賢行の立場を強調して「還相回向の願」と呼称する。ちなみにこの立場は能化に対する別回向文(…歴代諸上人等、普賢行願究竟円満)にも見られる。
【参考】宇野恵教「普賢行としての還相回向」(『宗学院論集』六二、一九九〇)、梶山雄一監修『華厳経入法界品 さとりへの遍歴』上下(中央公論社、一九九四)、中御門敬教「普賢行と普賢行願」(『仏教文化研究』四六、二〇〇二)、柴田泰山「『無量寿経』所説の〈普賢之徳〉について」(浄土学四三、二〇〇六)
【執筆者:中御門敬教】