「如実修行」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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にょじつしゅぎょう/如実修行
真実の道理にかなった修行をすること。また転じて、浄土の菩薩が、身を本処から動かすことなく十方にいたって諸仏を供養し衆生を教化するなど、不行にして行ずることをいう。原語はⓈanudharma-pratipattiⓈbhāvanāⓈyoga等が対応するが一様でない。世親『往生論』において、「一仏の土に於て、身、動揺せずして十方に遍し、種種に応化して如実に修行し常に仏事を作す」(聖典一・三六七/浄全一・一九六)といい、また「彼の応化身、一切の時に前ならず後ならず、一心一念に大光明を放て、悉く能く遍く十方世界に至て、衆生を教化す。種種の方便修行の所作、一切衆生の苦を滅除す」(聖典一・三六八/浄全一・一九六)など、浄土の菩薩の四つの修行を述べる。それに対し、曇鸞は『往生論註』下に「真如はこれ諸法の正体なり。体は如にしてしかも行ずれば則ち是れ不行なり。不行にしてしかも行ずるを如実修行と名づく」(浄全一・二四九上)と解説し、如実修行とはそれら浄土の菩薩の修行が不行にしてしかも行ずることであると指摘している。
【参考】望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九六四)、櫻部建『増補版仏教語の研究』(文栄堂書店、一九九七)、色井秀譲『浄土念仏源流考—大無量寿経とその周辺』(百華苑、一九七八)、島津現淳「『深密解脱経』の〈如実修行〉について」(印仏研究三〇—二、一九八二)
【参照項目】➡如実修行相応
【執筆者:石川琢道】