「頓秀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:30時点における最新版
とんしゅう/頓秀
寛文六年(一六六六)—元文四年(一七三九)一〇月一〇日。伝蓮社通誉寂西阿。増上寺四一世。生国は上総国望陀郡。氏姓は国村氏。生実大巌寺流頓のもとで剃髪し知恩寺に入寺。大巌寺に戻り了也から宗戒両脈を受け、増上寺学寮へ移る。同寺学頭、江戸崎大念寺一七世、太田大光院二九世、小石川伝通院二五世を経て、享保二〇年(一七三五)正月増上寺四一世。同年「蔵司職永式」を定め、三大蔵経の閲覧・保存維持の方法を規定した。元文三年(一七三八)一一月麻布一本松(港区麻布台)に隠退。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)、『増上寺史料集』一(大本山増上寺)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】