大光院
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいこういん/大光院
一
群馬県太田市金山町。義重山新田寺。群馬教区№五〇。関東十八檀林の一。子育て吞龍の寺として有名。慶長一八年(一六一三)徳川家康は遠祖新田義重の菩提を弔うために金山の南麓に一寺を建立して、増上寺存応の推薦によって吞龍を開山とした。翌一九年には三〇〇石の朱印地をもらうなど、創建から江戸幕府の保護下にあった。元和八年(一六二二)常紫衣の綸旨を賜り、檀林の格式を調えて、僧侶の教育機関となった。江戸時代には数回にわたって伽藍を修築。明治二年(一八六九)勅願所となる。幕府の保護下を離れた明治以降、開山吞龍は子育て吞龍と呼ばれ有名になった。行事としては、九月七日から九日までの三日間にわたって開山忌が行われ、安産・子育てのため近郷から多くの参詣者でにぎわう。また春秋の二回、信徒の祈願をする故信講も行われている。
【資料】『新田大光院志』(浄全二〇)
【参考】宇高良哲『関東浄土宗檀林古文書選』(東洋文化出版、一九八二)【図版】巻末付録
【執筆者:宇高良哲】
二
横浜市南区三春台。明石山宗雲寺。神奈川教区№二〇。明治一四年(一八八一)、野沢松坂屋(後の横浜松坂屋)、七四銀行の創設者である群馬県出身の大豪商茂木惣兵衛(一八二七—一八九四)が、吞龍の功徳を多くの人々に伝えようと発起し、千野学誠を迎えて群馬県太田大光院の別院教会所として建立。信州善光寺山内白蓮坊より本尊を寄進されて以来、吞龍文化講座、善光寺参拝講等の各種教化事業を行い、僧俗一体となって念仏の縁を弘めている。
【執筆者:宮林雄彦】