「相承」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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そうじょう/相承
師匠より弟子へ法脈を伝え、弟子が承ること。師資相承、付法相承ともいう。古くインドにおける仏教以来、律や教法は師から弟子へと授受伝承され、中国や日本においては祖師を立てて独自の伝統と継承の系譜を相承として明らかにし、宗派の形成と脈譜を明確にしていった。相承には、師弟の間で法門や衣鉢あるいは血脈譜を直接に授受する(印可を得る)場合と、夢告や経文によって法義を伝承する場合とがある。前者を直接相承・面受相承・知識相承・次第相承・口訣相承といい、後者を依憑相承・経巻相承・超越相承という。法然五八歳の東大寺講説『阿弥陀経釈』では「ここに善導和尚の往生浄土宗においては経論有りといえども、習学するに人無く、疏釈有りといえども、讃仰するに倫ら無し。然るに則ち相承血脈の法有ること無し。面授口決の儀に非ず」(昭法全一四五)といって、浄土宗に相承が無いことを述べているが、六二歳頃の『逆修説法』では「浄土宗に既に師資相承の血脈の次第有り」(昭法全二三六)といって、『安楽集』の六大徳相承の説を紹介している。そして、六六歳撰述の『選択集』一で、浄土宗の師資相承血脈について「今且く道綽・善導の一家に依って、師資相承の血脈を論ぜば」(聖典三・一〇四/昭法全三一三)といって、『安楽集』の説を紹介したあとで「菩提流支三蔵・曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感法師・少康法師なり」(同)といい、「已上唐宋両伝に出づ」(同)と割注を付して挙げているが、これは『続高僧伝』と『宋高僧伝』とから選定した法然独自の六祖相承である。特に曇鸞以下の五師を浄土五祖と称する『類聚浄土五祖伝』一巻を残しており、法然の立てる浄土五祖が定着することになる。このような法然の相承説の推移は、当時の日本仏教において相承血脈の譜がなければ一宗として認知されないという既成観念に応じたことであると言えよう。法然は、善導の遺文にもとづいて往生浄土の法義を伝承した経巻相承と、夢定中における善導との対面(二祖対面)をとおして口決相承とを得た。『阿弥陀経釈』で法然が「面授」「口決」が無いと述べたのは、善導が道綽から、また聖光が法然から、直接に面授口決された場合のような相承を意味するのであって、それゆえに経巻相承と夢定中の面受相承を否定するものでないことは明らかである。浄土宗においては、法然より聖光へ、聖光より良忠へという三代相承のほかに、法然より源智へと相伝された吉水相承がある。『四十八巻伝』四六の記事によると、これらの二つの相承について、源智の弟子蓮寂房と良忠とが、文永年間の頃(一三世紀後半)に、京都赤築地において四八日間の談義を行った結果、両者の相伝の符合するところを認め合い、良忠の相伝を自分たちの義とすることを蓮寂房が表明したところから、吉水相承として立てることはせず鎮西相承一つになった。良忠以後は、良暁→蓮勝→了実→聖冏へと次第相承し、これを鎮西白旗流の正流とする。浄土一宗の相承は、七祖聖冏によって組織づけられ表明された宗脈・戒脈の相承において形成される。
【参考】石井教道「法然上人の相承観」(佛大紀要三七、一九六〇)、香月乗光「法然上人における相承説の問題」(『法然浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林)
【参照項目】➡二祖対面、経巻相承、直受相承、依憑相承、知識相承、師資相承、宗脈・戒脈
【執筆者:藤本淨彦】