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阿弥陀浄土変相図

提供: 新纂浄土宗大辞典

あみだじょうどへんそうず/阿弥陀浄土変相図

阿弥陀仏仏国土を絵画や浮き彫り、織物などで表したもの。阿弥陀浄土図、阿弥陀浄土変、阿弥陀浄土曼陀羅ともいう。また、このうち特に『観経』の諸説を取り入れたものを、観無量寿経変相図(観経変相)、観経曼陀羅とよぶ。日本の阿弥陀浄土変相図は、主に、中国唐代に盛行した浄土変相図を範として制作され、流布したものである。今日、中国中原地方の作例を見ることはできないが、敦煌莫高窟とんこうばっこうくつ壁画に、中国における浄土変相図の様式の展開と変遷を知ることができる。敦煌阿弥陀浄土変相図の中でも最も初期的作例である第三三二窟の「阿弥陀三尊五十菩薩図」(初唐)は、宝楼閣等の荘厳を有さず、特に宝池に焦点をあてた構図となっている。本図では、宝池から茎を伸ばした蓮華上に阿弥陀仏が座し、同じ茎から枝分かれした蓮華上に観音、勢至菩薩をはじめ多くの菩薩たちの姿を描く。さらにつぼみの中に赤子の姿を描いて往生人蓮華化生を表している。本図と類似した構図をもつのが、日本の浄土変相図で最も古い作例である法隆寺金堂第六号壁画の「阿弥陀浄土図」である。これらのシンプルな変相図に対して盛唐期における最も完成された阿弥陀浄土変相図は、阿弥陀仏を中心とした求心的な構図と重層的な宝楼閣、そしてより多くの菩薩衆や華やかな荘厳に彩られた複雑な構成をもつ。敦煌浄土変相のなかでも充実した図様で知られる第二一七窟北壁、第一七一窟北壁(ともに盛唐)などの観経変相図は、こうした極楽荘厳に加えて『観経』に説かれる序分、十三観九品来迎図の内容を周縁部に描き出しており、當麻寺に伝わる当麻曼陀羅の図様を想起させる。善導は『観念法門』の中で、阿弥陀浄土を観想することと阿弥陀浄土変を画くことの功徳を説くが、当麻曼陀羅は『観経疏』等に示された善導の教説を忠実に図様化していることで知られる。また、敦煌の作例と比しても極めて優れた作風を伝えており、中国からの舶載品である可能性が指摘されている。この当麻曼陀羅に、奈良時代に元興寺の僧智光が感見したといわれる智光曼陀羅、そして平安時代に奈良超昇寺の僧清海が感得したと伝える清海曼陀羅を加えて「浄土三曼陀羅」とよぶが、原本が現存するのは当麻曼陀羅のみである。


【参考】河原由雄「変相図の源流」、中村興二「貴族社会の浄土信仰」(『図説日本の仏教三 浄土教』新潮社、一九八九)、京都国立博物館編『浄土教絵画』(平凡社、一九七五)、内田啓一監修『浄土の美術』(東京美術、二〇〇九)【図版】巻末付録


【参照項目】➡浄土曼陀羅観経曼陀羅清海曼陀羅智光曼陀羅当麻曼陀羅


【執筆者:若麻績敏隆】