ていずい/貞瑞
明和三年(一七六六)—天保二年(一八三一)一二月二六日。明蓮社察誉喚阿。字は飲光。知恩院六六世。生地、法系は不詳。増上寺で修学後、本所霊山寺二一世、文政五年(一八二二)四月鎌倉光明寺八六世を歴住し、同一〇年七月二〇日台命により知恩院住職となる。同年八月八日紫衣被着許可を得、九月九日に入山した。翌一一年三月三〇日大僧正に任官された。在住四年余りの天保二年一二月二六日に六六歳で入寂した。表葬は二日後の一二月二八日に知恩院六二世霊麟の例にならい勢至堂で行われた。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】