れいりん/霊麟
元文四年(一七三九)—文化三年(一八〇六)四月一三日。体蓮社聖誉心阿具堂。知恩院六二世。結城弘経寺三九世、飯沼弘経寺五五世、小石川伝通院四五世を歴住し、享和元年(一八〇一)一〇月一六日台命を拝し、知恩院に昇転。翌年四月二七日、大僧正に任ぜられる。文化二年(一八〇五)八月七日には有栖川宮織仁親王の第八皇子、幼名種宮、後の尊超法親王(同七年に親王宣下)を知恩院門跡六世に迎えた。在住すること四年余、同三年四月一三日に入寂。勢至堂において表葬が行われた。
【資料】井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)、『華頂誌要』(浄全一九)
【執筆者:伊藤弘道】