ていげん/貞現
宝永四年(一七〇七)—安永九年(一七八〇)九月二四日。栴蓮社檀誉乗阿。字は大愚。知恩院五七世。生地、法系は不詳。増上寺で修学後、太田大光院三七世、鎌倉光明寺七一世を歴住し、明和八年(一七七一)一二月八日知恩院五七世となる。翌九年九月二九日、大僧正に任官された。在山中、同九年八月、第一条「公儀御法度は勿論、元和以来宗門の御制条及び国宝、当山歴代の制度、厳重に相い守るべき事」等、制状六箇条を定めた。安永九年七月一一日に老齢を理由に京都新善光寺に隠棲し、同年九月二四日に七四歳で入寂した。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】