西伝寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
せいでんじ/西伝寺
浜松市南区西伝寺町。源宝山松寿院。静岡教区№一六二。円光大師御遺跡四十八所の番外札所。法然が桜ヶ池へ赴いたときに念仏教化した遺跡と伝えられる。安元二年(一一七六)法然は当地出生の弟子西伝を供として桜ヶ池への参詣から帰京のとき、当地の草庵に寄宿して念仏教化した。法然が「念仏の声ある処は予が廟所」と言って別時念仏を開闢したので、西伝は「法然上人御廟塚」を築いたという。貞治六年(一三六七)増上寺の雲誉愚廓が法然の古跡として西伝を開基とし一宇を建立。慶長八年(一六〇三)徳川家康は八七石七斗を寄進し、同一三年増上寺より一国一宗寺院の支配を申し付けられ、元和元年(一六一五)浄土宗触頭となる。西伝が法然の分骨を持ち帰り納めたと伝える供養塔や、法然が植えたと伝える浜松市指定天然記念物の伊吹木の古木などがある。
【資料】『西伝寺記録』(七世大誉深理)、『遠江国浄土宗寺院詳細取調籍』、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』
【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)
【参照項目】➡桜ヶ池
【執筆者:山本博子】