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藤堂恭俊

提供: 新纂浄土宗大辞典

とうどうきょうしゅん/藤堂恭俊

大正七年(一九一八)一一月一九日—平成一二年(二〇〇〇)一二月一四日。謙蓮社仁誉晃阿不染。増上寺八六世。藤堂俊譲・ゆきの三男として和歌山県田辺市龍泉寺に生まれる。一〇ヶ月後伯父祐範・庫子の養子となる。昭和一一年(一九三六)東山中学校卒業、僧籍編入。同一三年総本山知恩院宗戒両脈相承。同一四年佛教専門学校卒業、同一六年大正大学仏教学部卒業、同一七年大正大学浄土学研究室副手、同一九年大正大学研究科(浄土学)修了。同年徴兵(三ヶ年)。同二〇年信重院住職。同年佛教専門学校図書館書記、同二二年佛教専門学校助教授、同二四年佛教大学助教授。同二七年東山高校教諭。同三一年仏教文化研究所主任、同三六年知恩院浄土宗学研究所研究員、同三七年佛教大学教授、同五四年佛教大学文学博士学位取得、同年日中友好浄土宗協会理事長(日中友好学術交流についての訪中は三十数回に及ぶ)、同五七年佛教大学文学部長、同六〇年佛教大学図書館長、同六三年浄土宗教学院研究所長、平成四年(一九九二)浄土宗総合研究所長、同五年大本山増上寺法主となる。この間光摂殿建立に尽くす。同一二年一二月一四日遷化。著書に『無量寿経論註の研究』(仏教文化研究所、一九五八)、『弁栄聖者』(光明会連合本部、一九五九)、『善導教学の研究』(編著、東洋文化出版、一九八〇)、『法然上人研究』一・二(山喜房仏書林、一九八三・一九九六)、『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』資料篇・研究篇(同朋舎出版、一九八八)などがある。


【執筆者:髙橋弘次】