聖と俗
提供: 新纂浄土宗大辞典
せいとぞく/聖と俗
E・デュルケムは「世界を、一つはすべて聖であるものと、他方はあらゆる俗であるものを含む二領域に分かつこと、これが世界思想の著しい特徴である」と述べている。これを受けてM・エリアーデは、森や山などが聖地とされるのは、それ自体が崇拝されているのではなく、森や山などに顕現する聖なるものの現れ、すなわちヒエロファニー(hierophany)が存在しているからであるとした。その一方で、森や山などが神聖視されるのは、それらに対して人間が畏怖感・神秘感といった情緒反応を示すためであるという心理学的解釈もある。いずれの説明も決定的とはいえないが、確実にいえることは聖や聖地といった概念は、それを生み出す文化・社会的脈絡に依存するということである。E・リーチの構造主義の立場からすると、聖地は人間が作りあげた世界の象徴的秩序化に他ならず、連続していて切れ目のないところに意図的に作り出した人為的な分断であるという。すなわち、日常・非日常、時間的限定性・無時間性、明瞭分明な範疇・曖昧不分明な範疇、中心・周縁、俗・聖、などの二項対立の認識のなかで、二つの領域が混じりあう場こそが「聖なる領域」への入り口であり、タブー扱いをうける。だからこそ辺境や闇をよぎるときには常に儀礼が伴うと指摘した。この場合、聖なるものは、非日常的であり、無時間的であり、曖昧不分明であり、周辺的とみる。E・リーチはまた、この世とあの世を同じ生活空間のなかで連続的に捉えている。たとえば京都の鳥部野・蓮台野・化野は、古来風葬の地であったことが広く知られている。村落共同体における墓地形成の根本的理念は、江戸の都市空間における聖域形成にも適応されている。江戸幕府が徳川家を呪的に守護する目的で、祈願寺・菩提寺などの聖空間・他界を江戸市中にたくみに配したことはよく知られている。一方、H・ターナーは、聖域には宗教的意味と社会的意味とがあるとした。前者は家の祭壇から地域社会の教会・寺院における崇拝の場をいい、神霊が宿り、ないし神霊が顕現し、人との出会いの場であるとした。たとえば、祭壇や教会は「神の家」であり、それには四つの空間(生活が方向づけられるセンター、天地が出会う場、天界の小宇宙、神霊の顕現する場)が備わっているとした。社会的意味としての役割に目を向けると、祭壇・教会は、それ自体神聖な宗教共同体の崇拝する場、いわば「会衆の家」であり、聖なる場であるという。ターナーの分類は宗教的・社会的両面からの分類であったが、聖域はこのような二つの意味をもち、純粋に崇拝の場として存在する聖域と、社会的な広がりをもつアジールとしての聖域、および両者の合体した聖空間があるといってよい。特に両者が合体した聖空間は、聖地に聖域が重ね合わさった例といえる。 「聖と俗」という二元論的図式は非常に分かりやすいが、その普遍性については疑問が呈されている。確かに西欧の宗教一般については比較的当てはまるが、東アジアおよび南アジアの諸宗教、アラブを中心としたイスラム圏については、聖と俗の区分が明瞭でないことが多い。従って、聖と俗、宗教と世俗といった二元論的発想を見直すことも提議されてきている。
【参考】M・エリアーデ著/堀一郎訳『大地・農耕・女性』(未来社、一九六八)、E・デュルケム著/古野清人訳『宗教生活の原初形態』(岩波文庫、一九四一~二)、E・リーチ著/青木保・宮坂敬造共訳『文化とコミュニケーション』(紀伊国屋書店、一九八一)、V・ターナー著/富倉光雄訳『儀礼の過程』(新思索社、一九九六)、藤原聖子『聖概念の近代』(大正大学出版会、二〇〇六)
【執筆者:藤井正雄】