現在の京都市右京区嵯峨にあった地。古代より鳥部野とりべの・蓮台野れんだいのと並ぶ風葬の地とされ、多くの遺骸が野ざらしになっていた。それを目にした空海が、弘仁年間(八一〇—八二四)に遺骸を埋葬し、その地に千体の石仏を造立し、曼荼羅川の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立し、五智山如来寺と称したのが、後の化野念仏寺である。寺は当初は真言宗であったが、鎌倉時代の初期に法然の念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになった。
【参照項目】➡鳥部野、蓮台野
【執筆者:工藤美和子】