珂碩
提供: 新纂浄土宗大辞典
かせき/珂碩
元和四年(一六一八)正月一日—元禄七年(一六九四)一〇月七日。大蓮社超誉松露。江戸時代前期の僧で、世田谷奥沢の九品仏浄真寺の開山。武蔵国の生まれ。俗姓は野村氏。はじめ江戸覚真寺円岩について出家し、のち下総国生実大巌寺雄誉霊巌門下の珂山に師事。寛永一三年(一六三六)珂山が深川霊巌寺二世となったため、珂碩も同行した。明暦三年(一六五七)江戸の大火によって類焼した際には霊巌寺再建の責任者として大任を果たした。寛文七年(一六六七)には毎日銭三文を貯えて九体の阿弥陀仏像と釈迦像造立の大願を成就させ霊巌寺に安置した。翌年越後泰叟寺住職に招かれたが、延宝六年(一六七八)世田谷奥沢の村民の招きに応じて同地に移り、新たに堂宇を建立して霊巌寺から九品の仏像を移して安置した(現・九品仏浄真寺)。珂碩は医術をよくし、特に安産には効験があるとされた。またさまざまな奇瑞を示したため、信徒の間に珂碩仏として信仰された。
【資料】『鎮流祖伝』八、『珂碩上人行業記』(共に浄全一七)
【参考】堤邦彦『江戸の高僧伝説』(三弥井書店、二〇〇八)
【執筆者:𠮷水成正】