—寛文一一年(一六七一)九月五日。松蓮社大誉頑魯。深川霊巌寺二世。和泉国堺の出身。俗姓は生駒氏。幼少から世俗を嫌い、同国智雲寺で出家し、後に関東へ下り、下総国生実おゆみ大巌寺で随流、霊巌に師事して修学した。優秀であったが学資に恵まれなかったため、霊巌が種々支援した。明暦三年(一六五七)の大火により霊巌寺が類焼したため、翌年三月に霊巌島から深川に移し、発展に尽力した。
【資料】『鎮流祖伝』七(浄全一七)、『総系譜』中(浄全一九)
【執筆者:𠮷水成正】