潮吞
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちょうどん/潮吞
天正七年(一五七九)—慶安三年(一六五〇)四月一三日。還蓮社往誉。存応の弟子として活躍。近世初期の宗学者として名高い。金戒光明寺二八世。武蔵国埼玉郡の人。三十数年にわたって存応に師事した愛弟子の一人。慶長一八年(一六一三)徳川家康の許可により阿茶局が建立した光厳寺(現・雲光院)の住持となり、宗義の研究に専心した。とくに宗脈・戒脈にくわしく、浄土宗伝法史の相承に貢献した功績は大きい。寛永三年(一六二六)了的の後をついで、金戒光明寺の二八世となり、境内を整備するとともに、寺内の別規を作って粛正をはかり、政治的にもすぐれた手腕を示した。著書の「三脈口伝書」は潮吞切紙ともいわれ、存応の伝書が一時散逸したのをなげいて、自分の筆録を増上寺に贈ったもの。同一二年清心院に隠棲した。
【資料】『文政寺社書上』、『黒谷誌要』(浄全二〇)
【参照項目】➡潮吞切紙伝法
【執筆者:宇高良哲】