正行房
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょうぎょうぼう/正行房
一二世紀後半~一三世紀前半頃、生没年不明。法然の門弟もしくは同朋。『四十八巻伝』一一によると、正行房は法然が九条兼実邸へ繁く出入りしているのを批判的に感じていたが、ある夜の夢に法然が現れ、「私と兼実公は先世からの因縁があるのだ」と述べたという。正行房の名はかつてはこの記事によってのみ知られていたが、昭和三七年(一九六二)、奈良の興善寺本尊阿弥陀仏像の胎内から、法然およびその門弟の正行房宛書状数通が発見され、にわかに注目されるようになった。それらの書状の内容からすると、正行房は法然の足下に住していたものの、元久の法難の少し前に奈良へ下向したらしいことが知られる。また、善導の御堂の建立を志すほか、法然に小袖等の種々の品を贈ったり、欣西からは仏像建立の資金援助を依頼されていることからして、正行房には何らかの経済的基盤があったようである。また、消息紙背には念仏結縁交名が記され、人々の念仏結縁に尽力したことも知られる。
【参考】堀池春峰「興善寺蔵・法然上人等消息並に念仏結縁交名状に就いて」(『仏教史学』一〇—三、一九六二)
【参照項目】➡興善寺、興善寺文書、正行房へつかわす御返事
【執筆者:安達俊英】