本末制度
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほんまつせいど/本末制度
仏教寺院における本寺と末寺の封建的階級制度。江戸時代以降に本格的制度として定着した。江戸時代の本末制度は、幕府が政治機構の末端に寺院組織を組みこむ目的で形成された。元和元年(一六一五)七月までに徳川家康は各宗の本山に対して寺院法度を制定している。浄土宗では知恩院、増上寺、伝通院の三箇寺に浄土宗諸法度が出された。その内容は、各宗本山が中世以来持っていた政治的・経済的特権をとりあげること、末寺住職の任免権が本山にあること、末寺は本山の命令に絶対服従すべきこと、宗派の教学・修行の場は本山が提供し、ここで一定の期間の服務を義務づけること、僧階の格づけは本山の権限であることなどを規定した。法令的にはこの寺院法度により、本末制度が規定されたが、実際の制度化はやや遅れた。幕府は寛永九年(一六三二)から翌年にかけて各宗本山に対して、本末帳の提出を命じ、本末制度の実態把握につとめている。一方、本山側はこの機会に便乗して、末寺支配の足固めをしている。そして原則的にはこの時期の本末帳に帳付けされていることが、寺請寺院の条件になるとともに、古跡寺院としてさまざまの特権を付与されることになった。浄土宗の場合、本山は京都知恩院で、関東本山は鎌倉光明寺であったが、江戸幕府の成立とともに増上寺が将軍徳川家の菩提寺として台頭して、江戸時代には増上寺が関東本山の役割を果たした。
【参考】圭室文雄『日本仏教史 近世』(吉川弘文館、一九八七)、『増上寺史』(増上寺、一九七四)
【参照項目】➡本寺・末寺
【執筆者:宇高良哲】