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播磨義

提供: 新纂浄土宗大辞典

はりまぎ/播磨義

三世紀に播磨国で栄えた法然門流の一つ。信寂房を祖とする。信寂は生年・生国・俗姓ともに不詳であるが、法然面授の弟子で、明恵の『摧邪輪』に対して『慧命義』一巻を作り反論したと伝わる学匠。『峯相記』によると、文治年間(一一八五—一一九〇)むろとまり長者の家にみすぼらしい老法師が現れ雑役に召し使われていたが、やがて当地の地頭に補された吉川氏がこの僧を信寂と看破し、自領内の朝日山(姫路市)の東麓に一宇を建立して信寂を招き手厚く崇敬したことが、播磨への浄土宗伝播の嚆矢という。信寂は寛元二年(一二四四)に没したが、播磨の念仏信仰は信寂門下の顕寂・顕実によってさらに高められ、浄土宗播磨義と称された。とくに隆盛だったのは顕実の頃、文永年間(一二六四—一二七五)で、『峯相記』には播磨国内に「五ヵノ奇麗ノ念仏堂」が造立され、そのけんを競ったことが記されている。顕実没後は急速に衰え、『峯相記』が書かれた貞和の頃(一三四五—一三五〇)には一地域で細々と念仏が続けられているのみであったという。そのためか、中世から近世にかけて数多く作成された法然門下諸流の系譜資料には播磨義への言及がほとんど見られない。


【資料】『四十八巻伝』四三、『峯相記』(『続群書類従』二八上・二八九上~九〇上)


【参考】薗田香融「朝日山信寂と浄土宗播磨義」(『竹田聴洲博士還暦記念 日本宗教の歴史と民俗』隆文館、一九七六)


【参照項目】➡信寂房


【執筆者:吉田淳雄】