徳願寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
とくがんじ/徳願寺
千葉県市川市本行徳。海巌山普光院。千葉教区№三。円誉不残の開山。もとは慶長五年(一六〇〇)に草創された普光庵という草庵であり、鴻巣勝願寺の末寺であった。慶長一五年(一六一〇)、徳川家康の帰依によって新たに堂宇が建立され、徳川の「徳」と勝願寺の「願」をとってその寺号とした。創建時の堂宇は安政三年(一八五六)に焼失しており、現在の本堂は大正五年(一九一六)に再建されたもの。本尊阿弥陀如来像は北条政子の霊夢をもとに運慶が刻んだものといわれ、三代将軍家光からは本尊供養料として朱印一〇石を賜っている。境内には身代観音堂、経蔵、宮本武蔵供養塔などがあり、運慶作といわれる閻魔大王、円山応挙の幽霊之図、宮本武蔵の書画などの什物を所蔵している。
【資料】『鴻巣勝願寺志』(浄全二〇)、『蓮門精舎旧詞』四七(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【参考】『千葉県浄土宗寺院誌』(千葉県浄土宗寺院誌刊行委員会、一九八二)
【執筆者:杉山裕俊】