尊胤法親王
提供: 新纂浄土宗大辞典
そんいんほっしんのう/尊胤法親王
正徳五年(一七一五)三月三日—元文四年(一七三九)一二月二一日。慶蓮社深誉見阿。字は真融。最勝光院宮ともいう。霊元天皇の第一五皇子として生まれ、幼名は悦宮。母は少納言局秦仲子。享保四年(一七一九)一月二三日、知恩院門跡四世を相続する。同一〇年六月一五日に将軍徳川吉宗の猶子となり、翌一一年一月二二日に親王号が宣下され、宣名を栄貞とする。さらに翌一二年三月一九日、入室し、知恩院四六世然誉了鑑を戒師として得度し尊胤法親王と称した。同一八年一一月二七日、知恩院四八世堅誉往的から伝法を受ける。翌一九年二月には江戸に下り将軍徳川吉宗に謁し帰洛する。その後増上寺での修学を期したが果たさず、世寿二五歳にして没した。墓所は京都一心院にある。
【参考】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:笠島崇信】