女人禁制
提供: 新纂浄土宗大辞典
にょにんきんせい/女人禁制
修行の道場である寺院および霊場などにおいて女性の出入りを禁止すること。「にょにんきんぜい」ともよみ、また女人結界ともいう。日本では古代において卑弥呼などの例に見られるように、祭司儀礼の場において女性が高い地位にあった。しかし政治や社会の変化によって状況は変わり、特に仏教では『法華経』の伝来流布により「提婆品」に見られる、女性には生まれつき五障があるといった見方が大きな影響を与えたようである。平安時代には最澄により比叡山が女人禁制となり、以後高野山や大峯山などの霊場へと一般化していった。こうした姿勢に対して法然は批判的な立場であり、『無量寿経釈』では「この日本国にさしも貴き無上の霊地霊験の砌にはみな悉く嫌われたり」(昭法全七七)と比叡山、高野山、東大寺、崇福寺、金峯山、上醍醐の女人禁制を挙げ、「悲しきかな、両足を備うといえども登らざる法の峰有り、踏まざる仏の庭あり、恥しきかな、両眼は明なりといえども見ざる霊地有り、拝さざる霊像有り」(同)と述べ、阿弥陀仏の女人往生の願はこのような境遇に置かれる女性に対しても往生の疑いを起こさせないためにあるのだとして、「女人浄土に生ずことを得ずというはこれはこれ妄説なり信ずべからずなり」(同七八)と説いている。明治五年(一八七二)三月の太政官達によって大部分は廃止されたが、伝統として女人禁制が存続するところもある。
【参考】西口順子『女の力』(平凡社、一九八七)
【参照項目】➡女人往生
【執筆者:市川定敬】