崇福寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
そうふくじ/崇福寺
愛知県岡崎市中島町道海。蘆菴山許応院。浄土宗西山深草派三河三檀林の一つ。昌泰三年(九〇〇)醍醐天皇の勅願寺として開かれた天台宗昌泰寺を前身とする。郡主由良光家が光誉天祐に帰依し、開山に招いた。崇福寺は檀林として栄え、天祐が没する長享元年(一四八七)までには僧徒三〇〇名、末寺七十余を数えた。永禄六年(一五六三)近隣の安楽寺が一向一揆を企図したとき、八世洞山祖湛は僧俗を集めてこれを阻止。徳川家康はこれを称讃し、安楽寺の寺領宝物一切を崇福寺に寄進した。洞山および九世伝盈春教、一〇世聴翁洞岸は家康の従兄弟に当たる。現本堂は寛永一七年(一六四〇)の建立、総門は今川義元の寄進である。
【参考】『深草史 改訂版』(浄土宗西山深草派宗務所、一九八〇)
【執筆者:稲田廣演】