大胡消息
提供: 新纂浄土宗大辞典
おおごしょうそく/大胡消息
法然述。関東武士で法然に帰依した大胡太郎実秀とその妻に宛てた二通の手紙の総称。「実秀宛」は『西方指南抄』下本、『和語灯録』三、『九巻伝』五下に、また「実秀妻宛」は『西方指南抄』下本、『和語灯録』四、『四十八巻伝』二五に所収される他、高田の専修寺に建長七年(一二五五)書写の写本が現存する。ただし、「実秀妻宛」は『四十八巻伝』所収本では「実秀宛」となっている。成立年に関しては、「実秀妻宛」は『和語灯録』所収本において道光が正治元年(一一九九)成立と註記するが、「実秀宛」の方は不明。内容はいずれも冒頭にごく短い挨拶文がある他は、大半が質問に対する教義的な回答となっている。まず「実秀宛」では主として三心と余行並修の可否が説かれる。三心のそれぞれの説明の後、念仏したのに往生できないのは三心が具わっていないからで、三心が具わっていたら来迎があるため臨終が悪いはずがないと述べる。後半は念仏に『法華経』読誦を加えるとかえって往生できなくなること、およびその理由について詳述される。ただし、他宗の人への誹謗はすべきでないと述べ、本消息の他見を禁じている。一方、「実秀妻宛」は念仏往生の根拠と専修の重要性を説くことに終始する。我々凡夫が往生できるのは称名念仏の専修によってのみである。なぜなら念仏だけが弥陀の本願であり、また『観経』の「光明徧照」の文や「付属の文」などにも、念仏のみが勧められ、余行での往生は説かれていないためである。さらに弥陀化身である善導も「専修」を勧め、「雑修」では往生できないとしていることを示し、最後に念仏誹謗の者は地獄に堕ちると述べて、本消息を終える。
【所収】聖典四、昭法全
【参考】小此木輝之「『大胡消息』と大胡氏」(同『中世寺院と関東武士』青史出版、二〇〇二)、平松令三「オウゴの女房あて法然上人御消息について」(『高田学報』六七、一九七八)
【参照項目】➡大胡の太郎実秀が妻室のもとへつかわす御返事、大胡太郎実秀へつかわす御返事
【執筆者:安達俊英】