大泉寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいせんじ/大泉寺
一
盛岡市本町通り。亀通山。岩手教区№一。増上寺末。開山は信蓮社大誉。寺伝では法然門弟の顕然房好覚と伝えられる。糠部郡福岡(岩手県二戸市)に建てた専立庵悟真寺が始まりといわれ、一〇世慶誉学幢が中興し、大泉寺と改名。慶長年間(一五九六—一六一五)の南部利直盛岡築城の際、現在の地に移った。その後南部氏の帰依により、広大な伽藍と多くの末寺を持つ有力な本寺となり触頭を務める。文政八年(一八二五)に再建された本堂の屋根は宝形式反り屋根である。
【資料】『蓮門精舎旧詞』五〇(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『鎌倉光明寺志』(浄全一九)
【執筆者:渡部伸一】
二
京都市下京区万寿寺通西洞院東入月見町。花降山葭牆院。京都教区№一七一。文禄四年(一五九五)教誉賢公の建立。寛印作と伝わる本尊阿弥陀如来は、寛永七年(一六三〇)、二世賢親のとき天華が降ったとの縁起から花降如来、また右の袖を脱ぎ衆生引接の相を顕すことから片袖如来とも称される。なお当地は九条兼実の別荘(花園亭)の旧跡であったとされ、帰洛後の親鸞が草庵(葭牆御坊、花園院)を営んだ(『華園文庫』)。
【資料】『浄家寺鑑』七、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『拾遺都名所図会』一(『新修京都叢書』七、臨川書店、一九六七)、『洛陽五条西洞院大泉寺記』
【執筆者:加藤弘孝】