大乗戒
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいじょうかい/大乗戒
大乗仏教の菩薩が守るべき戒で、菩薩戒ともいう。具足戒、声聞戒に対する語。インドの初期大乗仏教では十善道(不殺生、不与取、不邪婬、不妄語、不両舌、不悪口、不綺語、不貪嫉、不瞋悩、不邪見)が大乗仏教の菩薩戒である。『小品般若経』『十地経』では在家、出家の区別なく菩薩戒として十善道が説かれるが、不邪婬戒があるので基本的には在家戒である。
初期大乗では菩薩の教団が未成立だったので律蔵がなく、出家の菩薩は十善道に頭陀行が加わる。『大品般若経』には在家(Ⓢgṛhastha)の菩薩と出家(Ⓢpravrajita)の菩薩の語が現れるが、『大品般若経』問乗品(正蔵八・二五〇上)では戒波羅蜜(Ⓢśīla-pāramitā)の内容は十善道である。さらに具足戒、律儀戒の語もみられ、また梵行(断婬行)をモットーにする菩薩も説かれ、菩薩教団の存在をうかがわせるが、実態は不明である。『大智度論』四六(正蔵二五・三九五中)では、戒波羅蜜は十善道とするが、それは総相戒として説くのであって、別相としては無量という。また『同』一三(正蔵二五・一六〇下~一下)では、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷等の七衆の戒が菩薩の戒波羅蜜として説かれる。『郁迦長者経』は在家の菩薩には五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)および十善道を説き、出家の菩薩には頭陀行であり、『十住毘婆沙論』へ受け継がれる。
中期大乗仏教を代表する『瑜伽論』四〇、菩薩地戒品(異訳の『菩薩地持経』四、戒品)は菩薩の戒波羅蜜を説く一章であるが、菩薩戒は律儀戒、摂善法戒、饒益有情戒の三種として説かれる(正蔵三〇・五一一上~下)。その中で律儀戒は七衆の別解脱律儀(Ⓢprātimokṣasaṃvara)であり、出家の菩薩は伝統的な律蔵に示される具足戒、在家の菩薩は五戒である。つまり出家の場合は大乗仏教が声聞乗、ときに小乗と呼んだ人々と同じ戒を受持したのである。また摂善法戒は大菩提を証するために六波羅蜜等の善法を実践すること、饒益有情戒は利他行を実践することである。三種戒は律儀戒のみではなく、三種すべてが戒波羅蜜であり、菩薩戒であり、『解深密経』等の瑜伽唯識系の経論に広説される。
中国で五世紀頃成立した『梵網経』下では(正蔵二四・一〇〇四中以下)、在家出家に共通する菩薩戒として一〇の重戒と四八の軽戒を説く。同じく中国成立の『菩薩瓔珞経』下(正蔵二四・一〇二〇下)は、摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒の三種戒を説く。これはインドの三種戒を組織しなおしたもので、この中、摂律儀戒は十波羅夷といい、『梵網経』の一〇の重戒と同内容である。『四分律』等の律蔵に説かれている出家の具足戒は声聞戒とも称されるが、中国の出家者は具足戒と大乗戒である『梵網経』の菩薩戒の両方を受持するのが一般的であった。日本の奈良朝期に来日した鑑真(六八七—七六三)は、出家者には具足戒を、在家者には『梵網経』の菩薩戒を授けている。以後、日本では東大寺で具足戒を受けたものが正式な僧侶として認められるようになる。日本天台の祖、最澄は、『山家学生式』の「回小向大式」(正蔵七四・六二四下~五上)で、具足戒は小乗戒なので破棄すべきであるとし、『梵網経』の十重戒四十八軽戒のみの受持を主張する。叡山で受戒した法然もこの流れにある。
初期仏教以来の具足戒は三師七証の一〇人による授戒であるが、在家出家に共通する大乗菩薩戒の授戒法は様々であったことが智顗の『菩薩戒義疏』上(正蔵四〇・五六八上以下)に説かれている。また中国天台の六祖、湛然の『授菩薩戒儀』は十二門による授戒法を制し、比叡山に伝わり、浄土宗の授戒もこれを基本にする。なお『瑜伽論』四一・菩薩地戒品、『梵網経』下、『菩薩瓔珞経』下では適切な伝戒師がいないときは仏前における自誓受戒を認めている。鎌倉時代の叡尊、忍性は自誓受戒したことで知られる。
【参考】大野法道『大乗戒経の研究』(理想社、一九五四)、平川彰『浄土思想と大乗戒』(『平川彰著作集』七、春秋社、一九九〇)
【参照項目】➡三聚浄戒、授戒・受戒、梵網経、具足戒、頭陀、十重四十八軽戒
【執筆者:小澤憲珠】