報恩謝恩
提供: 新纂浄土宗大辞典
ほうおんしゃおん/報恩謝恩
恩に報いること。報恩感謝とも。仏教では特に、仏・菩薩・師・父母等の恩に報いるために自ら悟りを開き、他を導いて悟りを開かせることであるとされ、『大方便仏報恩経』(正蔵三・一三五中)などに説かれる。善導は『往生礼讃』で「自ら信じ、人をして信ぜしむること、難きが中にうたた更に難し。大悲を伝えて普く化すれば、真成に仏恩を報ずるなり」(浄全四・三六二下/正蔵四七・四四二上)といい、法然の『逆修説法』四七日では、『観経』所説の三福九品の説明中、真実の報恩とは父母の意志に背いても仏道修行をすることであると説明される(昭法全二五九)。歴史的には布施・供養・読経・起立塔像等が報恩として行われてきた。また、口称念仏にも報恩感謝の意があることについては、善導の『観念法門』に「又、敬って一切の往生人等に白す。若し此の語を聞きて、即ち声に応じて悲しみて涙を雨らし、連劫累劫に身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、本心に称うべし」(浄全四・二三五下)と表現されるところに見られる。
【参照項目】➡仏恩報謝
【執筆者:市川定敬】