十劫の弥陀
提供: 新纂浄土宗大辞典
じっこうのみだ/十劫の弥陀
十劫前に成仏した阿弥陀仏のこと。法蔵菩薩が本願を成就して成仏したのが十劫の昔であったことから十劫の弥陀という。『無量寿経』上に「その仏、成道より已来、幾ばく時を逕ぐるとやせん。仏ののたまわく、成仏より已来、凡そ十劫を歴たり」(聖典一・二三六/浄全一・一二)とあり、『阿弥陀経』に「阿弥陀仏、成仏より已来、今において十劫なり」(聖典一・三一八/浄全一・五三)と説かれているのによる。善導は『法事讃』において「正坐より已来、十劫を経たり」(浄全四・二〇上)とし、十劫の弥陀とする説をとる。しかし源信は『法華経』の説によって、阿弥陀仏に本迹の二門があり、十劫正覚を迹門(垂迹)、久遠の昔に成仏したとする久遠実成の阿弥陀仏を本門(本地)とする。法然門下の幸西は源信の説をとり、十劫の弥陀を果後の方便とし、無始無終の阿弥陀仏を本門真実の弥陀とした。良忠や聖冏は源信らの説を否定し、十劫の弥陀が正義であるとした。真宗では弥陀成仏は十劫、塵点久遠劫よりも久しいと説くが、存覚は久遠の弥陀を本門とし、十劫の弥陀を方便としている。
【資料】源信『自行念仏問答』(仏全三一、『恵心僧都全集』一)、覚運『念仏宝号』(仏全二四)、証空『選択密要決』五、親鸞『浄土和讃』(正蔵八三)、存覚『浄土真要鈔』本(正蔵八三)、義山『無量寿経随聞講録』上四
【参考】望月信亨『略述浄土教理史』(日本図書センター、一九七七)
【執筆者:長尾隆寛】