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十三得失

提供: 新纂浄土宗大辞典

じゅうさんとくしつ/十三得失

善導が『往生礼讃』において説示する、称名念仏では一〇〇人中一〇〇人が往生することができるのに、念仏以外の実践行では一〇〇人の中でもまれに一人か二人、千人の中でも稀に三人から五人ほどしか往生できないことに関する一三項目からなる理由のこと。この一三項目とは以下の内容である。①阿弥陀仏に向かう際に様々なそれ以外のことに心が乱れたり動揺したりして、阿弥陀仏への確固たる念を失ってしまう。②阿弥陀仏本願と対応しない。③釈尊の教えに対して相違する。④釈尊の聖なる言葉に随順しない。⑤阿弥陀仏に対して想いを寄せ続けない。⑥阿弥陀仏の姿を心に想い描くことが中断される。⑦阿弥陀仏浄土往生することについて自らの善行を振り向け往生を願うことが、心からのものでなく、真実でもない。⑧貪りやいかりや様々な欲望や煩悩が迫り来て、阿弥陀仏への想いが中断する。⑨自らの悪行を反省し懺悔することがない。⑩阿弥陀仏への想いを相続して、阿弥陀仏の恩に報いようとしない。⑪心に傲慢な思いができて、仏道の実践を修行したとしても、いつも名誉や利益しか求めない。⑫我執が自らを覆い、仲間や仏教について優れた知識を持つ人と親しくしない。⑬進んで種々様々な関係を結び、極楽浄土往生する唯一の実践行を自ら邪魔し、また他人をも邪魔する。このように善導念仏以外の実践行を修すると、これら一三項目に及ぶ障害があることから、念仏以外の実践行による往生の可能性が極めて低いと論じている。なお、この一三の得失については法然も早い時期から着目し、『逆修説法』(昭法全二七三)などにも引用している。また『選択集』二(聖典三・一一一~二/昭法全三一六~七)では後半の引文として引用され、念仏諸行を峻別する際の論理的根拠となっている。


【執筆者:柴田泰山】