出出世間
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅつしゅっせけん/出出世間
俗世間を離れた境界に入った仏が、衆生済度のためにさらにその境界より出でて有相や差別相を示すことをいう。凡夫が生死輪廻する迷いの世界を「世間」、世間を超出した境界を「出世間」、出世間より済度に向かうことを「出出世間」という。世間は有相執着の世界であるのに対し、出世間の境界は無相無執着である。凡夫は、煩悩を自らの力によって断じることが出来ず執着心を有しているので、出世間の境界に入ることが困難である。そこで、仏は凡夫を済度するために方便を用いる。いうところの仏方便とは、仏が凡夫に近づくことであり、具体的には凡夫に捉えることの可能な有相荘厳等を現出することである。真諦訳『摂大乗論釈』一五には「無分別智無分別後智所生の善根は、出出世の善法と名づく」(正蔵三一・二六三中)と説かれ、『往生論』に「正道の大慈悲、出世の善根より生ず」(聖典一・三五四/浄全一・一九二)と説かれているのは、阿弥陀仏および浄土の有相荘厳が無分別後智所生の功能から現れたことを示したもの。
【参考】望月信亨『略述浄土教理史』(浄土教報社、一九二一)、藤堂恭俊『浄土仏教の思想 四』(講談社、一九九五)、曽根宣雄「法然上人における内証・外用③—内証・外用論の論理展開について—」(『丸山博正教授古稀記念論集 浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林、二〇〇五)
【執筆者:曽根宣雄】