上善寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうぜんじ/上善寺
一
京都市北区鞍馬口通寺町東入上善寺門前町。千松山遍照院。京都教区№三二。貞観五年(八六三)円仁が千本今出川に天台密教の寺として創建。文明年間(一四六九—一四八七)盛信が再興し、後土御門、後柏原両帝に授戒する。文禄三年(一五九四)現地に移転。一三世肝誉のとき浄土宗に転宗。正徳二年(一七一二)松平越前守は菩提寺と定む。本尊は行基作と伝え後水尾帝の勅により嵯峨蓮華清浄寺より移された阿弥陀仏坐像。後柏原帝の勅願念仏道場の宣旨と千松山の勅額を賜る。京都六地蔵の鞍馬口地蔵となっているほか、禁門の変の長州人首塚、二河白道や二祖対面、釈迦八相の庭がある。
【執筆者:福𠩤隆善】
二
大阪府泉佐野市栄町。白道山西岸院。大阪教区№四三三。永正元年(一五〇四)、灯誉良然の念仏弘通により、多くの善男善女が帰依し、ここに一宇を建立して開創。良然は、阿弥陀仏の四十八願になぞらえ、四八箇寺の末寺を建立し、東西より多くの僧侶が法問論議修学のために集まってきたが、やがてその末寺の半数以上が荒廃し、今は檀林の旧跡が残っているのみである。当寺は、和泉の二〇箇寺の触頭であった。良然は、その器量を認められ、法然三三三回忌当日大導師を務め、知恩院二七世徳誉光然の奏聞を受けて賜った紫衣の綸旨・書翰などの什宝が、今も当寺に伝わっている。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『飯沼弘経寺志』(浄全一九)
【参考】竹内信常・水谷幸正編『法然浄土教の綜合的研究』(山喜房仏書林、一九八四)
【執筆者:藤野立徳】