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提供: 新纂浄土宗大辞典

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いえ/家

本来は住まいを意味する用語。転じて家屋を生活の場として共同体を形成する家族集団を指したり、財産、権利、義務などを超世代的に継承したりしていく社会的な単位を意味する。とくに後者では、単なる住まいの意味を離れて社会的ないし制度的になり、「家」あるいは「イエ」と表記する。家の相続形態として、長子相続制や長男相続制、末子相続制などがある。相続は婚姻、血縁、地縁など、さまざまな条件によって制度化される。さらに、相続形態には地域性が見られ、同族結合型の東北日本と組結合型の西南日本に分類されるなど相違が見られる。しかし、それらはいずれも幾世代にもわたる家永続の願いを原動力としてきた点に変わりない。家には屋号、家紋、家名、家風、家訓などがあり、それらは家の連続性を象徴するものとなっている。また、家を中心とする信仰形態の物理的表象として、神棚仏壇、墓、墳墓などがあり、なかでも位牌戒名などが象徴となることが多い。

日本が歴史的に形成してきた理念型は「家父長的イエ制度」であった。ここでいう制度とは、慣習やしきたりといった行為の束という意味である。この家父長的イエ制度は鎌倉期の武家社会に端を発し、江戸期に著しく発達したものである。明治民法ではその精神が継承され、法律というかたちで制度化された。しかし、第二次世界大戦後の改正民法では、その精神は盛り込まれず、家父長的イエ制度は法的根拠を失った。しかし、薄れたとはいえ、現在にも残る家父長的イエ制度は、戦前までの慣習ということが出来るだろう。

かつては、男の子が生まれると「位牌もちができた」と喜び、葬儀などでの焼香順も家の継承を願って男子が先に行っていた。しかし、現在では自己のアイデンティティを一族の系譜(イエ)に求めず、故人への個人的な情緒に基づく葬儀へと移行している。例えば以前は、家を継承するものが喪主となり最初に焼香していたが、現在では長年連れ添った伴侶が喪主となることが多々ある。つまり現代では、歴史的に形成されてきたイエ制度が崩壊し、新しい家族像を求めている過渡的な状況にあるといえよう。

仏教との関わりについて述べると、仏教が生まれたインドでは、仏教教団出家教団の形態をとった。出家とは、家庭生活を捨て、世俗的な執着を離れて、出家者の集団である僧伽そうぎゃの一員として仏道修行にいそしむ者を意味する。出家者が精神的に在家信者を教導し、在家信者僧伽を経済的に支えるという互恵関係を保った。仏教家族観は在家信者に対して説かれた世俗倫理として存在する。原始仏教にあって、まとまった形で説かれたものに『シンガーローヴァーダ・スッタンタ』(パーリ長部経典三一)および『長阿含経』一一「善生経」、『中阿含経』三三「善生経」、『尸迦羅越六方礼経』、『善生子経』などがある。漢訳の経名に「六方礼経」とあるのは、釈尊が、シガーラ(尸迦羅越)という若い資産家の戸主が六方を礼拝していたことを機縁にして、六種の人間関係の倫理徳目を説いたことにちなんでいる。

こうした徳目の中核には、互いに相手の立場を思いやるという慈悲の思想と報恩の思想が横たわっている。こうした思想を端緒にして、四恩をはじめ恩・報が漢訳大乗仏典を通じて積極的に説かれ展開していくという推移を辿る。一方、中国にあって家庭生活を捨てる出家の思想は、孝の思想を重んずる儒教から批判を受ける。そのようななか、『盂蘭盆経』、『父母恩重経』等の偽経が製作されて、出家者が出世間的、利他的立場にたって七世の父母を救済する報恩の思想を生みだし、ここに在家者が父母に孝養を尽くす報恩の思想と、肉親の恩愛の情を断ち、出家することこそが真実の報恩であるとする思想との相克、調和の歴史を辿ることができる。


【参考】柳田国男「先祖の話」(『柳田国男全集』一三、筑摩書房、一九九〇)、川島武宜『イデオロギーとしての家族制度』(岩波書店、一九五七)、有賀喜左衛門「日本家族制度と小作制度」上・下(『有賀喜左衛門著作集』一・二、未来社、一九六六)、中村元「原始仏教の生活倫理」(『中村元選集』一五、春秋社、一九七二)


【参照項目】➡祖先崇拝在家・出家


【執筆者:藤井正雄】