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慈観

提供: 新纂浄土宗大辞典

じかん/慈観

鎌倉時代末期頃、生没年不明。あざなは良厳。名越派祖良弁尊観弟子。正応三年(一二九〇)八月に「名越宗要」といわれる『浄土宗問答集』を、また正中二年(一三二五)には『十六箇条事』を著す。近江国河瀬の報恩寺を拠点に活動。一念多念業成論争の中で中立的立場をとった。


【資料】『法水分流記』『蓮門宗派』『浄土惣系図』(以上、野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)、『十六箇条事』(続浄一〇)、『総系譜』上(浄全一九)


【参考】玉山成元「浄土宗名越派の確立について」(『藤原弘道先生古稀記念 史学仏教学論集』藤原弘道先生古稀記念会、一九七三)


【参照項目】➡浄土宗問答集十六箇条事


【執筆者:𠮷水成正】


—安永二年(一七七三)二月一五日。信阿弥陀仏とも。河内国佐太来迎寺(大阪府守口市)の住僧。その徳の高さが広まり、遠方からも人が訪れたという。紫方袍ほうほう袈裟)の被着を許され、晩年には京都の岡崎に閑居して専修念仏精進した。臨終の日に頭を洗い沐浴して浄衣に着替え、「広懺悔」と「光明遍照」の文を弟子等と同音して、念仏を称えながら遷化した。


【資料】『新撰往生伝』五(浄全一七)


【執筆者:田中芳道】