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「一紙小消息」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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2018年9月17日 (月) 00:25時点における版

いっしこしょうそく/一紙小消息

一紙。「小消息」「黒田の聖人へつかわす御文」などとも呼ばれる。法然述。一二世紀後半から法然入滅の建暦二年(一二一二)までの間に成立。念仏往生の教えはいかなる人にも当てはまる確かな教えであるゆえ、それに感謝しつつ念仏行を続けてゆくべきことを述べた法語法然遺文の中では『一枚起請文』に次いで有名な法語で、浄土宗の日常勤行においてもしばしば拝読される。本文ではまず行の多少や時機にかかわらず往生できると信ずべきことを説き、続いて極楽弥陀念仏を選ぶ理由を述べ、往生信心の深さによることを示す。次いで浄土往生は普通ならば容易なことではないが、このたびそれが可能となることを喜ぶべきであると説く。現実の念仏行の実践方法としては、罪人・一念でも往生できると信じつつも、善人にして多念するよう勧める。そして弥陀釈迦・諸仏が念仏往生を勧めていることを示した後、本願に巡りあえた素晴らしさとその本願を信ずべきことを述べる。 『一紙小消息』は『西方指南抄』下末や『和語灯録』四といった法然遺文集、良忠決疑鈔』(浄全七・一九九上)や『東宗要』(浄全一一・八七上)といった門弟の著作、『弘願本』四や『四十八巻伝』二一といった法然伝に所収される。本文は諸本によって相互に表現上の違いが見られ、特に『西方指南抄』所収本には「まうあう」といった親鸞がよく用いる表現が見られるが、内容的にはすべての諸本で大差はない。表題は『西方指南抄』所収本は無題、『和語灯録』所収本では「黒田の聖人へつかわす御文」となっている。ここでいう「黒田の聖人」とは誰かという問題に関しては、すでに江戸時代に素中が『日講私記』(浄全九・七八五下)で「黒田」とは伊賀国黒田荘を指すとして以来、それを前提として、重源説(伊藤祐晃浄土宗史の研究』)、行賢大徳説(三田全信浄土宗史の新研究』)などが示されているが、いずれも定説とまではなっていない。

一方、「一紙小消息」という表題は、『四十八巻伝』において、「また一紙・・に載せてのたまわく」と述べて本文が全文引用され、その後「この書世間に流布す。上人消息・・・といえるこれなり」(聖典六・二八六~七/法伝全一一七~九)と述べられていることに由来すると考えられる。ただし、『四十八巻伝』では単に「小消息」と呼ばれているとあり、少なくとも明治期までは「小消息」という呼称で一貫していた。なお、本法語は「御文」「消息」などと呼ばれているが、体裁・内容の両面において、まったく手紙の形を取っていない。

法語はその所説の大半が他の法然遺文で跡付けできるので法然の真撰と見なして間違いないと考えられるが、本文を理解する上で、いくつかの留意点がある。まず①「罪人なりとて」と「我が身悪しとて」との違いであるが、法洲ほうじゅう小消息講説』(『大日比三師講説集』中・二八三上)では、前者を身業口業に関する罪人、後者を意業に関する悪と注釈する。次に②「自身はこれ煩悩具足せる凡夫なりといえり」の「自身」については、この一文が善導往生礼讃』の「自身はこれ具足煩悩凡夫善根薄少にして三界流転して火宅を出ずと信知す」(浄全四・三五四下)に基づくことは明らかなので、善導と受け止めるのが妥当であるが、『往生礼讃』の原文における「自身」は善導を含むところの私たちのことであるので、そうすると『一紙小消息』の「自身」も私たち自身と受け取れる可能性もある。③「本願に乗ずる事は、ただ信心の深きによるべし」という一文は信心為本を説いているようにみなせるが、本遺文では後に念仏を無間に修すべきことが説かれるゆえに、法語全体としては信心為本とは言い難い。④「罪をば十悪五逆の者なお生まると信じて小罪をも犯さじと思うべし、罪人なお生まる、いかにいわんや善人をや」の一文は、『歎異抄』の悪人正機とは逆の内容を示している点で注目される。⑤悪人・一念でも往生できると信じつつも、善人にして多念すべしという教説は、法然の他の文献でも繰り返し説かれるところであり、法然の基本的立場といえる。⑥「行住坐臥にも報ずべし、かの仏の恩徳を」の「かの仏の恩徳」とは、貞極吉水大師小消息諺解げんげ』(浄全九・八四五上)、法洲小消息講説』(同上・三三八下~四一上)ともに阿弥陀仏の恩徳とするが、法洲はひいては釈迦・諸仏の恩徳でもあると述べる。

なお、本遺文は他の法然遺文に比べ抑揚表現・倒置表現を多く用いており、最初から読誦意識して著された可能性も考えられる。その一方で、後世五重相伝の初重『往生記』にも引用され、伝法の書としての位置づけもなされた。


【所収】聖典四、昭法全


【資料】貞極『吉水大師小消息諺解』(浄全九)、法洲『小消息講説』(『大日比三師講説集』中)


【参考】藤堂恭俊『一紙小消息のこころ』(東方出版、一九九六)


【参照項目】➡黒田の聖人


【執筆者:安達俊英】