浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J09_0785A01: | らす |
J09_0785A02: | |
J09_0785A03: | 津戸三郞入道へつかはす御返事 |
J09_0785A04: | 此れは或人熊谷の入道津戸三郞は無智の者にて餘行 |
J09_0785A05: | かなひかたき故に念佛はかりを勸玉ふ有智の人には |
J09_0785A06: | 必しも念佛には限るへからすと當時關東にて人人申 |
J09_0785A07: | しけるを爲守傳へ聞きて上人に尋申しけるついてに |
J09_0785A08: | 條條の不審を申入れける其の御返事と云へり具には |
J09_0785A09: | 御傳第廿八卷津戸か傳に載す但し御文躰は此の錄に |
J09_0785A10: | 載する處最も具なり隨聞記を見合せて辨すへし○ |
J09_0785A11: | 十四丁一一家の人人の善根に等とは此の一段は御傳に |
J09_0785A12: | は不載定めて所覽の異と見へたり但し二位の禪尼 |
J09_0785A13: | への御返事には此事あり傳文並に此の錄共に載せた |
J09_0785A14: | り專文第廿五此錄第三卷○十七丁眞觀承とは此の御返事は眞觀房仰 |
J09_0785A15: | を蒙りて執筆せらるると見へたり但し傳文には月日 |
J09_0785A16: | と此の眞觀の承と云ふことは畧して無き也又西方指 |
J09_0785A17: | 南抄下末四十六丁には九月十八日津戸の三郞殿源空とあ |
J09_0785B18: | り私に按するに此の眞觀承るとあるは次上の大胡 |
J09_0785B19: | 太郞の妻室へ遣はさるるの處にあるへきを津戸の |
J09_0785B20: | 下に取違へたるなるへし傳文廿五五丁を見合すべし津 |
J09_0785B21: | 戸への御返事を眞觀執筆の事は未見故也此の眞觀 |
J09_0785B22: | 房感西は進士入道と云ふ人にて世世儒業の家にて能 |
J09_0785B23: | 書にて文章ありと十九歳の時上人門室に入りて師と |
J09_0785B24: | し事へ玉ふ法要を咨詢すること年久し上人選擇集を |
J09_0785B25: | 艸し給ふにも此人を執筆とし玉へり爾れとも不幸に |
J09_0785B26: | して上人に先達ちて往生し玉ふ事十三年前也生年四 |
J09_0785B27: | 十八歳にして寂し玉ふ傳文第四十八卷載此人 |
J09_0785B28: | |
J09_0785B29: | 黑田の聖人へつかはす御文 |
J09_0785B30: | 黑田とは武家の名字にて紀伊國の黑田和泉の黑田美 |
J09_0785B31: | 濃の黑田なとあれとも其等には非す此は伊賀國名張 |
J09_0785B32: | 郡に在る處の黑田の人也故に黑田の聖人と云なり彼 |
J09_0785B33: | の處に一宇有りて石塔現在せり是れ黑田聖人の遣跡 |
J09_0785B34: | 也今は知恩院末の名張郡の榮林寺の末寺分にて草堂 |