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J1420 和語灯録日講私記 義山・素中 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J09_0785A01: らす
J09_0785A02:
J09_0785A03: 津戸三郞入道へつかはす御返事
J09_0785A04: 此れは或人熊谷の入道津戸三郞は無智の者にて餘行
J09_0785A05: かなひかたき故に念佛はかりを勸玉ふ有智の人には
J09_0785A06: 必しも念佛には限るへからすと當時關東にて人人申
J09_0785A07: しけるを爲守傳へ聞きて上人に尋申しけるついてに
J09_0785A08: 條條の不審を申入れける其の御返事と云へり具には
J09_0785A09: 御傳第廿八卷津戸か傳に載す但し御文躰は此の錄に
J09_0785A10: 載する處最も具なり隨聞記を見合せて辨すへし○
J09_0785A11: 十四丁一一家の人人の善根に等とは此の一段は御傳に
J09_0785A12: は不載定めて所覽の異と見へたり但し二位の禪尼
J09_0785A13: への御返事には此事あり傳文並に此の錄共に載せた
J09_0785A14: 專文第廿五此錄第三卷十七丁眞觀とは此の御返事は眞觀房仰
J09_0785A15: を蒙りて執筆せらるると見へたり但し傳文には月日
J09_0785A16: と此の眞觀の承と云ふことは畧して無き也又西方指
J09_0785A17: 南抄下末四十六丁には九月十八日津戸の三郞殿源空とあ
J09_0785B18: り私に按するに此の眞觀承るとあるは次上の大胡
J09_0785B19: 太郞の妻室へ遣はさるるの處にあるへきを津戸の
J09_0785B20: 下に取違へたるなるへし傳文廿五五丁を見合すべし津
J09_0785B21: 戸への御返事を眞觀執筆の事は未見故也此の眞觀
J09_0785B22: 房感西は進士入道と云ふ人にて世世儒業の家にて能
J09_0785B23: 書にて文章ありと十九歳の時上人門室に入りて師と
J09_0785B24: し事へ玉ふ法要を咨詢すること年久し上人選擇集を
J09_0785B25: 艸し給ふにも此人を執筆とし玉へり爾れとも不幸に
J09_0785B26: して上人に先達ちて往生し玉ふ事十三年前也生年四
J09_0785B27: 十八歳にして寂し玉ふ傳文第四十八卷載此人
J09_0785B28:
J09_0785B29: 黑田の聖人へつかはす御文
J09_0785B30: 黑田とは武家の名字にて紀伊國の黑田和泉の黑田美
J09_0785B31: 濃の黑田なとあれとも其等には非す此は伊賀國名張
J09_0785B32: 郡に在る處の黑田の人也故に黑田の聖人と云なり彼
J09_0785B33: の處に一宇有りて石塔現在せり是れ黑田聖人の遣跡
J09_0785B34: 也今は知恩院末の名張郡の榮林寺の末寺分にて草堂

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