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神葬祭

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんそうさい/神葬祭

神道式の葬儀のこと。仏教僧による葬儀に対して起こった呼称。 『魏志(倭人伝)』『古事記』『日本書紀』『常陸国風土記』等には、仏教伝来以前の日本古来の葬儀が記されている。しかし、それをもって神葬祭の起源とするには議論の余地がある。そもそも平安期以降、穢れを嫌うという理由から一部例外はあるものの神道では葬儀を行ってこなかった。しかし、近世になると徳川幕府がとった仏教保護政策に触発され、神道人の自覚が促されることとなり、神葬祭が提唱されるようになった。従って、現在の神葬祭仏教からの精神的・物質的独立を企図して近世期に誕生した神道式の葬儀を起源とみるほうが妥当である。

近世初期、徳川光圀が私的に編纂した『神道集成』(葬祭篇)に神葬祭の様子が見て取れる。しかし、『諸家秘聞集』にあるように、神葬祭の本格的な展開としては、近世後期におきた神職らによる離檀運動をあげるべきであろう。あまり知られていないが、近世期においては神職であっても寺院に属することが義務づけられていた。そこで、寺院からの離檀を目的に神道人自ら幕府に働きかけたのが離檀運動である。結果的には、吉田家の免状を有した神職ならびに嫡子に限って神葬祭を行うことが寺社奉行によって許可された。限定的とはいえ檀家が離檀することには変わりがないので、仏教側はその採決に強く反対した。しかし、現実的にはこのような離檀は大勢を占めることなく、檀家制度は近世を通して安定していたと言える。

明治期になると神道優位の政策がとられ、事態は一変したように思われがちだが、神葬祭はそれほど大きな展開をみせなかった。それは、明治政府は神道宗教論の立場をとり、明治一五年(一八八二)一月二四日に「自今神官ハ教導職ノ兼補ヲ廃シ、葬儀ニ関係セサルモノトス。此旨相達候事。但府県社以下ハ当分従然ノ通」(内務省乙第七号達)と布告したことによる。神職によって自由に葬儀が行えるようになったのは昭和二〇年(一九四五)以降のことである。今日では、仏教式の葬儀に対して費用が少額との印象があり、神葬祭に注目が集まるものの、実際には圧倒的に少数である。

神道では、決まった年毎に行う祭祀儀礼を年祭と言う。葬儀および年祭は、通夜祭・葬場祭・火葬祭・帰家祭・十日祭・五十日祭・百日祭・一年祭・三年祭・五年祭・十年祭・三十年祭と行っていく。昨今は、葬場祭・火葬祭と同日の日に帰家祭・十日祭を行うことが一般的である。百日祭はあまり行われていない。仏教と違いその後の年祭は、年を繰り上げて行うことはない。

通夜祭・霊祭せんれいさいの一般的な式次第としては、修祓しゅばつの後、斎主一拝、献饌けんせん通夜祭詞奏上・斎主玉串・喪主玉串・家族親族関係者玉串と続き、撤饌てっせんをして、最後に斎主一拝をする。これを通夜祭と称す。その後、遷霊詞奏上・遷霊の儀と、御霊みたまを遺体から霊璽れいじ仏教でいう位牌に相当するもの)に遷す。これを遷霊祭という。葬場祭以降、ことばや式次第が若干異なる点があるが、おおよその式次第通夜祭と同じである。


【参考】加藤隆久編『神葬祭大事典』(戎光祥出版、二〇〇三)、小野和輝監修・礼典研究会編『神葬祭総合大事典』(雄山閣出版、二〇〇〇)


【執筆者:松野智章】