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十二光仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

じゅうにこうぶつ/十二光仏

阿弥陀仏光明の働きを一二種に分けて称讃する別号。『無量寿経』上に「無量寿仏をば、無量光仏むりょうこうぶつ無辺光仏むへんこうぶつ無礙光むげこうぶつ無対光仏むたいこうぶつ燄王光仏えんのうこうぶつ清浄光仏しょうじょうこうぶつ歓喜光仏かんぎこうぶつ智慧光仏ちえこうぶつ不断光仏ふだんこうぶつ難思光仏なんじこうぶつ無称光仏むしょうこうぶつ超日月光ちょうにちがっこうぶつと号したてまつる。それ衆生あって、この光に遇う者は、三垢消滅し身意柔軟なり。歓喜踊躍して、善心生ず。もし三途勤苦の処に在って、この光明を見たてまつれば、皆休息を得て、また苦悩なし。寿終の後、皆解脱を蒙る」(聖典一・二三七/浄全一・一三)と説いて十二光仏をあげ、その光明の働きによって、貪欲瞋恚愚痴三垢を消滅して心身に安らぎを得て善き心が生じ苦悩なく、寿命の終わる後に解脱を得ることができると言う。この十二光仏は『無量寿経』にのみ説かれ、『大乗無量寿荘厳経』は十三光仏、『無量寿如来会』は十四光仏を説き、現存するサンスクリット本では二十光仏であり、『大阿弥陀経』と『平等覚経』では説かれない。

曇鸞は『讃阿弥陀仏偈』において、第三偈から一四偈までの一二の偈で十二光仏の称号の付せられる理由を説き、各々の徳用を讃歎している。すなわち、智慧光明を量ることができないから無量光仏解脱の光の輪に限りがないから無辺光仏、光の雲が空間のように何にも遮られないから無礙光仏、清浄なる光明に対する障害がないから無対光仏、仏の光の輝きが第一であるから燄王光仏、仏道光明が朗らかでその色が超絶的なものであるから清浄光仏、慈悲の光を浴びる者に安楽を施すから歓喜光仏、仏の光が無明の闇を滅するから智慧光仏、光明があらゆるときにあまねく照らすから不断光仏、仏以外の者にはその光明を測ることができないから難思光仏、光明を特徴以外で名付けることができないから無称光仏、光明が太陽や月以上の輝きであるから超日月光仏、と述べそれぞれの名称の由来を明かしている(浄全一・二〇九上~一〇下)。善導は『往生礼讃』の日没礼讃偈十二光仏を中心に十九礼を取り上げ「釈迦仏及び十方の仏、弥陀光明十二種の名有るを讃歎して普く衆生を勧めたまえり。称名礼拝相続して不断なれば現世無量功徳を得、命終の後に定んで往生することを得」(浄全四・三五八上)と述べている。源信の『往生要集』大文第五「助念方法」において十二光の説示を紹介するなかで一々に新羅玄一の『無量寿経記』上の説を付し、清浄・歓喜・智慧の三光については新羅憬興きょうごうの『無量寿経連義述文賛』中の注釈(浄全五・一三九上~下)を加えている。すなわち、清浄光仏については「無貪の善根の生ずる所なるが故に」を、歓喜光仏については「無瞋の生ずる所なるが故に」を、智慧光仏については「無痴の生ずる所なるが故に」を加えて割注を付している(浄全一五・九二上)。法然は『逆修説法三七さんしち日で十二光仏について言及し、無量光仏については『観経』第九観の「光明遍十方世界念仏衆生摂取不捨」を引用して「一相より出すところの光明斯くの如し、況や八万四千の相をや。誠に算数の及ぶところに非ず。故に無量光と云う」のであり、また「彼の仏の光明は其の数此くの如くただ無量なるのみにあらず、照らす所また辺際有ることなし、故に無辺光と云う」と次第して説き示す。特に、清浄光仏については「人師釈して云う。無貪の善根所生の光なり…此の光に触れる者は貪欲の罪を滅す…心を至して専ら此の阿弥陀仏名号を念ずれば、即ち彼の仏、無貪清浄の光を放って照触摂取し給うが故に、淫貪財貪の不浄を除き、無戒破戒罪愆ざいけんを滅して、無貪善根の身と成りて、持戒清浄の人と均しき也」と言い、続けて「歓喜光とは、此れは是れ無瞋の善根所生の光なり…此の光に触れる者は瞋恚の罪を滅す…専ら念仏を修すれば、彼の歓喜光を以て摂取したまうが故に瞋恚の罪滅し忍辱の人に同じ。是また前の清浄光の貪欲の罪を滅するが如し」と言い、さらに「智慧光とは、此れは是れ無痴の善根所生の光なり…此の光はまた愚痴の罪を滅す。然れば無智の念仏者なりといえども、彼の智慧の光を以て照らして摂取し給う故に、即ち愚痴の愆を滅して智者と勝劣あること無し」(昭法全二四五~六)と説いている。この理解には、前述した憬興の『無量寿経連義述文賛』中の注釈の影響が窺われる。良忠は『往生礼讃私記』上で「諸師に各々別釈有れども憬興には如かず。故に彼の解を用いて加えるに拙詞を以てす」として割注を施しながら「私に云く」(浄全四・三九〇上)を付しながら論じている。道光は『無量寿経鈔』五で「十二光の義に諸師の異解あり。憬興の如くんば浄影の釈を破して而して自義を述す。礼讃の記の中に興の釈を引用す。くわしくは彼の記の如し。今諸釈をあつめて同異を知らしむべし」(浄全一四・一四四上)と解釈している。

明治以後においてはとくに、山崎弁栄が『仏教要理問答』(明治三四年〔一九〇一〕刊)や『如来光明讃の頒』(大正四年〔一九一五〕頃刊)で十二光を体系的に説示している。無量光を「法身体大 処として実在せざるなし」、無辺光を「一切智相大 処として照らさざるなし」、無礙光を「一切解脱大 処として融せざるなし」、無対光を「如来の真仏土 人の最終の帰処」、燄王光を「人類の理惑二性の悪質を除きて霊化する徳」、清浄光を「人の感性を美化する恵」、歓喜光を「感情に霊福を与う」、智慧光を「人の智力智見を与う」、不断光を「意思を霊化す」、難思光を「信仰を修養して恩寵を喚起す」、無称光を「恩寵を開発す」、超日月光を「恩寵の実現に行動す」とする。それらを、無量光から燄王光までを宗教形而上論、清浄光から不断光までを美化・霊化・与う働きの宗教心理論、難思光から超日月光までを喚起・開発・行動の宗教倫理論として、十二光に積極的な組織づけを行っている。


【参考】藤本淨彦『法然浄土宗学論究』(平楽寺書店、二〇〇九)、山本空外『念仏の哲学』(山喜房仏書林、一九七四)、藤本淨彦「宗教における『生成・摂化』論—救済・解脱から生成・摂化へ—」(同『法然浄土教論攷』平楽寺書店、一九八八)


【参照項目】➡光明阿弥陀仏


【執筆者:藤本淨彦】