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分段生死

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぶんだんしょうじ/分段生死

凡夫生死輪廻)のありようを指す語。その主体はアビダルマでは実有五蘊(『俱舎論』)、唯識瑜伽ゆがぎょう派では阿頼耶識あらやしき(『唯識三十頌』)、中観派では仮有けう五蘊ごうんに仮設された人(仮名人)とされる(『中論』)。阿羅漢灰身滅智けしんめっちや三無量不思議劫の修行による声聞授記など(『法華経』)に対する解明として、如来蔵系では『勝鬘経しょうまんぎょう』に二種の生死が説かれる。すなわち、分段生死変易生死へんにゃくしょうじである。前者の「分段」とは限界・限定・斉限の意味で、様々な条件(業・煩悩)に限定された迷いの生死を指す。つまり六道輪廻する凡夫生死を示す。変易生死は、有漏五蘊を捨てて、意成身を生死主体とする三種類の聖者(阿羅漢辟支びゃくし仏・大力菩薩)の不可思議生死を示す。『勝鬘経』以後は『楞伽経』『宝性論』などの唯識瑜伽行派系の大乗典籍に継承される。『成唯識論』八にその代表的解説が載せられる。すなわち以下の通りである。「生死に二有り。一には分段生死。謂く諸の有漏の善と不善との業が、煩悩障の縁の助くる勢力に由て、感ずる所の三界なる異熟果なり。身と命とに短と長とあり。因と縁との力に随て定れる斉限有り。故に分段と名く。二には不思議変易生死…」(正蔵三一・四五上)とある。『無量寿経』第十五願「眷属長寿の願」には、寿命の修短自在として言及が見られる。


【参考】金治勇「勝鬘経義疏における生死の問題」(印仏研究一六—一、一九六七)、佐伯定胤『新導成唯識論』(法隆寺、一九七五)、高崎直道『宝性論』(『インド古典叢書』講談社、一九八九)、柏木弘雄『勝鬘夫人のさとり—〈勝鬘経〉を読む—』(春秋社、一九九七)


【参照項目】➡変易生死


【執筆者:中御門敬教】