りゅうぜん/隆善
宝永四年(一七〇七)—寛政三年(一七九一)三月二四日。方蓮社便誉乗阿一実。増上寺五〇世。生国は信濃国水内郡桜村。氏姓は伝田氏。増上寺で修学、上洛し御室の湛慧律師に師事し、秘書一六〇巻を書写。増上寺学頭を経て、生実大巌寺二八世となり山門・諸堂を復興。太田大光院三八世、鎌倉光明寺七三世を経て、安永七年(一七七八)正月増上寺五〇世。幕命により本堂・諸堂の修復を完遂した。天明三年(一七八三)九月退任。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】