陳仁稜
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちんじんりょう/陳仁稜
生没年不明。中国梁・隋代の人。霊芝元照の『阿弥陀経義疏』に「彼の石経は本と梁陳人の書」(正蔵三七・三六一下)といい、元照の門人戒度の『阿弥陀経義疏聞持記』下には「梁陳は乃ち南朝両国の名なり、朝散郎陳仁稜の書ける碑は襄州龍興寺に在り」(浄全五・六八二上)と釈している。また王日休の『龍舒浄土文』一には「襄陽石刻の阿弥陀経は乃ち隋陳仁稜の書ける所なり。字画清婉にして人多く慕玩す」(浄全六・八四四下)と述べている。法然は『逆修説法』三七日、および『選択集』一三に、念仏多善根の証拠として陳仁稜の書いた「石刻阿弥陀経」の文を用いている。釈若拙によると、陳仁稜の字を長威とするが、もし長威とすれば『隋書』六四に立伝する「陳稜」をさし、廬江襄安の人である。しかし、陳仁稜と陳稜が同一人か否かはなお検討の余地がある。
【資料】『阿弥陀経義疏』(正蔵三七)、『阿弥陀経義疏聞持記』下(浄全五)、『龍舒浄土文』一(浄全六)、『逆修説法』三七日(昭法全二五四)、『選択集』一三(昭法全一一四)
【参考】金子寛哉「襄陽石刻阿弥陀経について」(『宗教研究』四七—三、一九七四)
【参照項目】➡襄陽石刻阿弥陀経
【執筆者:金子寛哉】