酬因感果
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅういんかんか/酬因感果
因となる行為がもたらした結果として果報を得ること。浄土教では、菩薩が修行の酬いによって仏果を得たことを説明する語として用いられる。『無量寿経』に説かれるように、法蔵菩薩は五劫思惟して四十八願を建立し、その後兆載永劫の修行によって成仏して阿弥陀仏となった。この極楽浄土に在す阿弥陀仏を酬因感果(身)とも酬因身ともいう。善導は『観経疏』玄義分において「今すでに成仏したまう、すなわちこれ酬因の身なり」(聖典二・一八三/浄全二・一〇下)と述べている。また法然が『無量寿経釈』において「およそ万行の因に答えて万徳の果を感ずること、依因感果、華の果を結ぶが如し。業に酬いて報を招く、響の声に随うに似たり、これすなわち法蔵比丘実修の万行に酬いて、弥陀如来実証の万徳を得たまえる報身如来なり」(昭法全七九/浄全九・三二三上)と述べているように、酬因感果とは阿弥陀仏の報身としての性格を表すものである。
【参照項目】➡報身
【執筆者:曽根宣雄】