粟生野
提供: 新纂浄土宗大辞典
あおの/粟生野
法然の遺骸を荼毘にふした地名で、京都の西郊、乙訓九郷の中の長井郷にある。現在地は長岡京市粟生。蓮生(熊谷直実)が建久年間(一一九〇—一一九九)に草庵を結び、念仏三昧院と号して専修念仏を行った有縁の霊地。のち、蓮生が武蔵国に帰るとき、幸阿弥陀仏に譲与したとされる。嘉禄三年(一二二七)、延暦寺の衆徒が洛東大谷の法然の墓所(吉水の霊廟)を破却しようとする出来事(嘉禄の法難)が起きた。その夜、法蓮・覚阿らが妙香院僧正と謀り、信空のはからいでひそかに法然の遺骸を嵯峨二尊院に移し、太秦広隆寺を経てこの地で火葬した。その地に建つのが西山浄土宗の総本山光明寺である。これは、法然の遺骸を荼毘にふした地に建てられた墓堂が前身で、西山派祖証空がここに住し仁治三年(一二四二)に四条天皇から光明寺の号を賜った。
【資料】『翼賛』四二・四九・五二、『都名所図会』
【参照項目】➡光明寺一〇
【執筆者:伊藤正順】